ボクの某国論

          其の四 法治国家と人治国家


某国は、多くの立派な法律があっても、その運用がいい加減と言うか「何のための法律?」と思わせる事が多くて 国内では、多くの某国人が「我々は法治国家ではなく、人治国家です」と自笑気味に言う。

某国だけでなく、殆どの国家で憲法や法律が整備されているが、実際は法治国家として厳密に法規が運用されている国の方が少ないかもしれない。それだけ、現実社会では人情や為政者の判断が法律を超越してしまう事が多いのである。  

イギリス、アメリカ、ドイツ。日本と言った国が、法治国家としては比較的優等生と言えるかもしれない。特に日本の場合、某国を侵略した際に某国民から「法匪」と呼ばれた位である。

横道にちょっとそれるが、「匪」とは決して良い意味ではない。本来は匪賊とは無法者集団の事で、山賊、海賊とほぼ同じ意味である。辛亥革命前後の某国では、政府の力が弱くなったおり、こうした連中が各地で勃興して支配地域を広げていった。中には、自分で地方政権を打ち立てた張作霖や、共産党と合流し後の大幹部に昇進した賀龍のような人物も「土匪」と呼ばれる地方山賊一味の発展系である。そうした時期に満州に進出(侵略)した日本は、そこで法律を次々に作って無理やり人民にそれを守らせようとした。侵略されて土地を奪われた事と法律を飽く迄守るよう強要された事を皮肉って、地元民から「法匪」とか言われるようになったのだが、明治の後半から大正時代には、日本ではすっかり帝国憲法や法律が定着して、外の国でも強要するほど立派な法治国家になっていた実態を示す例である。但し見方によっては、法度など各時代の政権が作った法規の浸透具合から見て、戦国乱世の一部を除き日本はずっと法治国家であったと言えるかもしれない。

しかし 発展途上国においては、法律と言うもの「皆が守れば、気持ち良く世の中回っていく」それが感覚的に解かるまで長い時間がかかるのだ。例えば列を作って並び順番を待つ これは法律ではないが守らない者が居れば厳しく処断される、結果皆が順番を待てば公平で効率的に事が運ぶ。現代日本人からすれば簡単な道理であるが 某国では未だこれがきちんとできない。満州を占領している時期は、日本人は「列を作って並ぶ習慣」を強要させた。日本人に雇われた朝鮮人が列の番人をしていて 順番を守らない人間がいれば棒や鞭で引っ叩く。だから朝鮮人(韓国人)は、今だに「棒子(バンズ)・・棒っきれ」と言われている。

 

憲法も法律も人が作った物であるから 常に万人が納得するものでもない。また 時代の変化とともに現状にそぐわない項目も出てこよう。したがって 日本では憲法を金科玉条の様に扱い修正意見に対し それが悪人であるかのような批判を浴びせていたが 他国では時代の流れと変化に従い憲法を結構修正しているし 政権が変わればガラッと変わる場合もある。(日本も拡大解釈などはあるが)

さて 私に言わせれば 某国の場合、法律は「参考資料」程度にしか思われていない。・・・と断言しちゃいましょう!最終的に為政者の判断で物が決まるが 法律に照らし合わせるのは、形だけ。何も目安がないと為政者も決めようがないので 参考として存在しているのである。決め事が、その時の状況と人間関係や政治的関係、そして金銭関係で決められる。

こんな某国でビジネスやっていて 某国であっても“コンプライアンスを重視しろ”って日本感覚で言う人がいる。もちろん某国においても道徳観念は大事であるが 欧米流コンプライアンスが真面に某国で通じるなんて 本気で考えている人がいれば 無知かオトボケも良いところである。

殺人事件でも政治力と金の力さえあれば、死刑から数年の禁固刑に変える事さえできる国なのである。ましてや汚職なんて皆がやっていて、特定の人だけが捕まり、不思議なことに特定の人は捕まらない。しかし全てが無法地帯かと言えばそうではない!この国にはこの国でのそれなりのルールやさじ加減がある。このさじ加減は、時の権力構造と密接に関連している。皇帝が支配した時代から現在に至るまで政治に関わる人々は、権力がどちらに移動していくかを最大の関心事で見ていたはずだ。見誤ったら最後、粛清の対象になりかねない。だから法律なんてどうでもいいのよ・・生き残るためには。次は誰が権力を握るか、この案件に関しては誰に権限があるのか、そしてどう擦り寄れば自分に有利に動くのか、今はどのさじ加減で対応しようか・・・この簡単そうで、実は難しい世渡り術がすべてある。上がそうであるから一般庶民だってそうなってしまう。某国共産党の幹部諸君 権力闘争・・さらに頑張ってくれたまえ!君たちのさじ加減をみんな参考にして生きているのだから。(2015/7/21 記)

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